2019年11月19日火曜日

TKR_16 嘉蔵と竹本津太夫(番外)

ーー国立文楽劇場での特別展示ーー



2019年9月28日より11月24日までの期間、国立文楽劇場(大阪)にて特別企画展示「紋下の家 ―竹本津太夫家に伝わる名品ー 」が開催されています。
今回はこの展示のうち貝島家に関係する部分を中心に展示の概要を説明します。

本展示会のチラシ


チラシのコピーを下に示します。

チラシの裏面には本展示会の開催趣旨、主な展示資料リスト、三代・四代津太夫の略歴の記述がありますが、これらについてはここ TKR16_att-1  から pdf コピーにて閲覧することが出来ますのでご覧ください。

貝島家と関係のある展示品


展示品のなかに次の2点も含まれていますが、これらは貝島家ゆかりの名品です。
Ÿ   梅模様見台(貝島家贈呈、螺鈿の高蒔絵)
Ÿ   横山大観筆、富嶽図の大作「霊峰一文字」(貝島家が資金主、現物は借りられず大型パネル画像のみ展示)
このうち「霊峰一文字」については、本ブログ TKR_14 にて紹介しました。
以下では「梅模様見台」の方について説明します。

▶ 梅模様見台の姿
  チラシにある梅模様見台の写真を少々拡大して下に示します。

▶ 図録に記載された本見台の解説
   縦34.5 横51.5 高47.5
   大正十三年(1924) 貝島家贈呈 村上家蔵
 大正十三年(1924)五月、御霊文楽座で三代津太夫が紋下披露を行った際に、九州・貝島炭鉱創業者の貝島家から贈られたものといわれる【白井】
 竹本津太夫家の定紋「釜敷梅鉢」にちなんで、黒蝋色塗地に高蒔絵と螺鈿で枝振りの良い梅が豪快に描かれている。梅の幹や枝は金粉と青金粉の蒔きぼかしにより色の変化をつけている。梅の花や蕾に白蝶貝の螺鈿が用いられ、蒔絵は平目粉を蒔いた研出蒔絵とする特殊な表現が見られる。
 房掛けの金具は銀製で、贈り主である貝島の紋「片喰」。紋板の表(客席側)は津太夫家の「釜敷梅鉢」だが、裏(太夫側)の紋は貝島の正式な紋である「丸に剣片喰」が金粉の高蒔絵で表されている。抽斗の金具は、取手が赤銅地に金と銀の色絵で「竹」を表し、座金は銀製で「松」葉を象る。蒔絵の梅と併せて「松竹梅」となる。贅を尽くした名品。
 四代津太夫もこの見台を大事に使い、「九段目(山科閑居)」や「岡崎」などの大曲を勤める舞台で使用した。

嘗てのTV番組での白井健輔氏による本見台解説の言葉より
 NHKBSテレビ「山川静夫の“華麗なる招待席”四世竹本津大夫」の中の白井健輔氏の解説「津大夫ゆかりの品々」(平成十四年十一月二十六日放送)のなかに、本見台について次のような言葉があった。
 即ち、「三代津太夫は福岡県香春町の出身であるが、後に炭坑で大成功された貝島炭鉱の社長さんとは小学生の鼻たれ小僧の頃から仲良しであったので、(紋下就任祝いに)贅を尽くしたこの見台を下さった」と。
 津大夫家側にこのような口伝が残されていたことは、(筆者が母から聞いた貝島家側の口伝とも符合するところがあるので)筆者にとっては非常な驚きであったが、白井氏の言葉には一部不正確なところがある。即ち文献を調べると、貝島家には三代津太夫(1869年生まれ)と小学校で同級であり得る人物は一人もいません。(創業者貝島太助は津太夫より24歳も年長) 他方、太助の末弟嘉蔵は明治4年~10年の間、香春町の吉村一作のもとに養子に出されていたとの記録がありますので、幼少期の津太夫と香春で交友を持ったのは嘉蔵であったに違いないと筆者は思っています。(両名が香春町で重なるのは、嘉蔵 16~22歳;津太夫 3~9歳)
 残念ながら筆者の許には本見台贈呈に関する明確な記録は残されていないのですが、贈呈された大正十三年には、太助やその嗣子栄三郎は既に没している一方、嘉蔵は存命中であったので、上の幼少期の話とも併せ、贈呈には嘉蔵が関与していた筈と筆者は想像しています。



その他


本展示会の「図録」(約90ページ)が主催者である独立行政法人日本芸術文化振興会より発行されています。展示品に関する多くの図版のほか、関連する資料類も収録されています。内容の概略は目次ページのコピー TKR16_att-2  を参照方。

以上

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