2018年7月29日日曜日

TKR_06 旧高宮貝島邸の建築物について(その1)

今回は、現在福岡市により公園化事業がとり進められている旧高宮貝島邸の概況及び現存建築物についての説明と、関連資料の紹介をしたいと思います。
なお、現存しない建築物(主として邸の居住部分だったところ)については、今後適当な時期に別途「高宮邸の建築物について(その2)」にて紹介したいと考えています。

【1】旧高宮貝島邸の概況

敷地の現況

  • 福岡市の中心から南約3.5kmに位置(西鉄高宮駅から徒歩5分)
  • 敷地面積:約1.9ha
  • 広壮な樹林地であり特別緑地保全地区に指定されている
  • 福岡市がS56~S62年度、H9~H24年度に用地取得
下に敷地の航空写真および敷地現況図を示します。
google map 2018年現在より(北は本映像の2時方向)
旧高宮貝島邸敷地現況図(2015年福岡市提供の図より)

現存建築物の概況

  • 大正4年に直方市に建築、昭和2年に現在地に移築
  • 築100年、当時の建築様式を遺す福岡市内でも貴重な大規模木造建築
  • 平成15年に、建物寄附に際し移築時の建物の半分以上を取壊し撤去#
  • 現況建築面積:671.59㎡(母屋、茶室、衣装蔵)
  • 福岡市は平成15~17年に高宮貝島家より寄附を受け、保存・活用検討してきた。
下にこの現存建築物(除く茶室)の平面図を示します。

高宮邸既存建築物・現況平面図(母屋及び衣装蔵)(1015年福岡市提供の図より)
図中グレーで示されている部分(中央から右)が平成15年撤去部分# に相当します。左方のグレー部分は茶室部分であり平成2年に邸内の高台の現状位置にに移設されました。
(因みに本玄関に至るまえに通過する本門と、玄関脇の脇門も撤去されています。)
現在残されている母屋及び茶室は、本来の邸宅全体のうち「接客部分」です。
なおここで、建物が南向きではなく、'東南東' 向きに建てられていることにご留意ください。(本ブログでは、本邸の研究書に倣い正面を東向きとして位置関係を記述します)

下に現況の邸の内・外観写真を示します。
高宮邸現況写真(2015年公表福岡市事業概要(案)より抜粋;写真の明るさ修正済)
     この写真ページの鮮明なものは次よりDownload/閲覧することが出来ます。
      TKR06_att-1

公園内での現存建築物の保存・活用に向けて


福岡市は次のステップを踏んで現存建築物(但し衣装蔵は除く)の保存・活用を条件とした高宮南緑地の公園化事業者の公募*を行いました。(H29年3月末)
大変多くの方々のご尽力が実って、旧高宮邸の保存・活用の道が開けたという経緯をご理解ください。

1)歴史的建築物の保存・活用を図るための条例を制定:
  (H27.4施行「福岡市歴史的建築物の保存及び活用に関する条例」)
   ・歴史的建築物に対して建築基準法の適用緩和を認める仕組み
   ・往時の意匠や形態を損なわずに安全に保存・活用する
2)必要な耐震補強工事内容の解明:
  市発注の詳細技術検討により、上の条例のもとでの必要な耐震補強工事内容
  を解明、部屋内外からの外観を損なわずに補強が可能との結論が得られた。
3)母屋及び茶室棟を市登録有形文化財に指定**(H29年)

* 公募関係資料(公募要綱等)については次の福岡市ウェbサイトから閲覧/Downloadできます。
http://www.city.fukuoka.lg.jp/jutaku-toshi/ryokkasuishin/business/takamiyaminamiryokuchi_1.htm
 ** 市登録有形文化財指定時の市の報道発表資料は次の通りです。
  この中に登録理由として次の記載があります。
旧高官貝島家住宅は市内において有数の近代和風建築であり,一部が解体されたとはいえ,規模が他に例を見ない。筑豊の石炭産業全盛時の歴史を伝える貴重な建造物であり。九州北部の炭鉱経営者の住宅と比較Lでも遜色ない価値を有する。 (後略)
   
閲覧/Downloadはここから; TKR06_att-2


【2】現存建築物の全般についての解説


ここでは現存建築物の全般について、その来歴、建築自体の説明と特徴、嘗ての使われ方などについて解説します。

現存建築物全般


来歴
邸全体としては大まかに言えば次の来歴をたどっています。
  • T4年(完成披露):直方・西尾の地に嘉蔵家本邸として建設
  • S2年(移築完了):西尾より高宮の地に移築。その際新たに増築された部分もある
  • S27年:進駐軍接収解除後、損傷部分を復旧
  • H2年:茶室部分を邸内高台に移動、現洋室部の内装を一新、奥居間・奥の4畳半を撤去などの改変を実施
  • H10年:建築史専門家による邸の詳細な調査実施
  • H15年:市の基本方針(H12年助役決済)に随い、現存建物以外の部分を解体撤去
<補足> S27年の接収解除後の復旧は随所に及び、床面及び壁面は全面的な復元工事が行われている。それ故 現状での床及び壁面の表面部分は、各部屋ともこの時のものである。(ただし、その後H2年に改装工事等を行った洋室と茶室棟はその時のもの) 幸いこの復元工事は、S2年の邸移築時の大工棟梁であった永野善兵衛(長野とも書く)が担当してくれたと推定される記録があり、正統な復元が出来ていたと考えられる。

建築自体の説明と特徴(現存建築物全般)
<注記>下記記述のうち、緑色文字のものは、福岡市の前述の公募要綱<添付資料1-2>「保存活用計画 補足資料」Page 6&7から引用したものである。
▷二つの建築様式が見られる大規模な近代和風建築の遺構
  • いずれも上質の 書院造の本座敷棟・本玄関棟と、数寄屋の南八畳・茶室棟の二つの建築様式が、往時の樹林を含む地所とともに見ることが出来る大規模な近代和風建築の遺構です。

▷構造
  • 壁の存在が極端に少なく、揺れることで強度を持たせる木造本来の伝続的な在来軸組工法である。
  • 布基礎に固定した現行の基礎形式ではなく、独立基礎(束石)の上に建物を量くだけの在来工法である。-
  • 遠方より解体移築された建物であり、在来工法の自由さを再認識することが出来る。
▷意匠(外部)
  • 長く雁行する形態と折り重なる屋根が意匠的にも陰影と深み、面自さを生んでいる。
  • 屋根の形態は起り(ムクリ)破風、入母屋造り箕甲(みのこう)納め、入側、縁側、廊下部は軒先銅板一文字葺きに一文字瓦納めなど、複雑に重なりあう屋根の重厚さ、美しさを持っている。特に南八帖は二方向に入母屋造りの手間のかかった仕事である。
  • 玄関・本座敷の妻飾りは木連格子に下魚を備え、南八帖では丸形の換気格子組が対となるなど、外部の意匠を凝らしている。
  • 柾目板の軒裏、化粧小舞軒、小枝の垂木に葦を張った軒等、棟ごとに凝った作りになっている。
▷意匠(内部)(現存各部屋共通)
  • 柱は杉の四方柾、他の部材も素性の良い目の詣まった柾目材を使っているが、華美な意匠ではなく、全体的に質素なデザインである。
  • 各棟を雁行配置にすることによってすべての部屋が明るく、庭園を望む開放的な空間になっている。
  • 欄間は部屋ごとに変化を持ったデザインとなっている。
  • 当時の手作りガラスは微妙にゆがみを持ち、外の景色が揺らいで見える。残り少ない貴重な財産である。

嘗ての使われ方(現存建築物全般)
  • 戦前・戦中期:前述のように、現存建築物は邸全体のうち接客部分であり、本玄関より左方は 普段は当主の家族は使わずに大切にした部分であった。
  • S21~27年:戦後進駐軍に接収された時代には、米軍大佐クラスの家族がここに居住した。(S27年に復元改修工事実施)
  • S28~S34年頃:貝島炭砿倶楽部として借上げを受ける。(本座敷等は在福貝島一族の女性陣が日舞の稽古場として使うなどした。)
  • S35頃~57年:アメリカ領事館に賃貸(領事公邸として使用された)

その他
健次存命中に高宮邸を訪問し、その当時の建築や庭園とか、もてなしの様子などについて感想等を記した文書は、筆者が知る限り残されてはいない。


母屋 及び茶室棟平面図

母屋平面図(福岡市公募資料より)

茶室棟平面図(福岡市公募資料より)
















【3】現存建築物の各ブロックごとの解説


現存建築物の各ブロックごとの解説、即ちそれらの「来歴、建築自体の説明と特徴、嘗ての使われ方」などについては、下記の pdf 文書を閲覧願います。
ここでは次のブロックに分けて解説しています。
  1. 本玄関 及びその左右に連なる棟
  2. 洋室 と接続廊下
  3. 本座敷・書院・次ノ間
  4. 南八畳
  5. 茶室棟
  ここから閲覧    TKR06_att-3


【4】まとめ

 今回は標題の建築物について、福岡市の公募要綱関連書類 及び登録有形文化財指定文書を踏まえつつ、それに記載されていない事項を補足し、且つ「嘗ての使われ方」をも記述に加えました。
 今回のブログにより、邸を見たこともない方々にも現存建築物の概要を知ってもらうことや、その住人たちが(各時代区分ごとに)どんな風に使っていたかのイメージをいくらかでも持ってもらうことが出来れば幸甚です。
 さらに、TKR-01にて「偉盲貝島嘉蔵翁」の録音図書を紹介する文書 201805_TKR01_att-1 の中で、『本書(録音図書)がこの近代木造建築の貴重な遺構とされるものに因む「現代人にも共感を持たれる物語」を与え、その歴史的・文化的価値を高める柱となることを期待したい。』と書きましたが、遺構のうちどの部屋でその物語を想起してもらい、嘉蔵の喜びを追体験してもらうことを期待するかについても、今回のブログにて明らかにしたつもりです。


0 件のコメント:

コメントを投稿

TKR_16 嘉蔵と竹本津太夫(番外)

ーー国立文楽劇場での特別展示ーー 2019年9月28日より11月24日までの期間、国立文楽劇場(大阪)にて特別企画展示「紋下の家 ―竹本津太夫家に伝わる名品ー 」が開催されています。 今回はこの展示のうち貝島家に関係する部分を中心に展示の概要を説明します。 ...